〜 あこがれ 〜
2019年 5月
新入児のことが少しずつわかってきて、園庭やへやでのあそびについて、みんなで話し合いをもちます。個々の子どものつながりも含めて。
その時のこと。
私「この頃、しっぽり鬼はどう? この間まで各年齢まきこんでずいぶんもりあがってたよね〜」
T「なんかこのところ、みんなあまり、やろうやろう言わないかも…」
私「せっかく渦巻きのように夢中でやっていたじゃない。卒園した年長とはげしく走り回って、園庭じゅうでやってたもの。なんか工夫してまたやろうよ」
T「卒園していったまつさんの影響ってすごいよねえ。」
S「そうそう、あのまつさんが楽しそうにやっているからやりたい。ルールや勝ち負けはおいといて、遊びにとにかく入りたい。」」
T「特に、Aが入ると、みんな入りたがるね。」
S「そうなのよ、Aは年齢の下の子やB(障がいのある子)にもすごくやさしいし、それもまったく自然で、対等に接するもんね。」
T「なんか、Aにあこがれるってあるかもしれない…
Aのそばにいて、Aといっしょにならなんでもやりたい…」
私「あこがれ…」
しっぽとり鬼や、だるまさんがころんだ、各種鬼ごっこ、事務室、机の下OKのかくれんぼ…などなど、この幼稚園の子は本当によくあそぶ。あそびきる。
特に今は、水や泥んこなどもさかんなとき。
お母さんたち、この泥色のパンツ、洗濯大変だよなぁ〜と、でも喜んでくれるよなきっと…と。
つぶやきつつ一応、水洗いはしておく。
洗いながら思った。
子どもも、「あの子いいなあ。あの子と遊びたいなぁ、あの子のようになりたいなぁ」とねがうんだ。そうやって大きくなる。大人の私たちだって、そうだ!
あの人ってステキ、あの人のようになりたいと想う人がいる。
考えてみたら、私芸能人の誰だかに夢中になったこともなければ、一心不乱になれる趣味もない。知恵もなければ才能もない。体重はそこそこあるけど身長がない。
私の人生はもう、高齢者といわれる年になっているし、多分そう長くは生きてない。
それでも、あこがれている人はいる。
この人のようになりたい思う人がいる。
そういう人に出会い、そういう人をめざそうとしている。
そんな私は、自分で言うのもなんだけれど、ケッコー、好きだ。
追伸:
泥んこの洗濯の方法について。
達人である公園ママたちの一致した答え!
「テキトーに洗って、あとはあきらめる」
でした。
チャンチャン。