〜 土鍋物語 〜
2019年 12月
仕事が終わって家に帰ると、夕飯ができている…。
これを幸せと言わずして、なんと言おう ━━。
私は実家の保育園で(おじのあとを継ぐために西小岩幼稚園にくる前)、父親を支えて主任保母として仕事をしていた。
保育士を「保母」とよんでいた40年前頃のこと。
私は子どもを産み(当時は同じ保育園に入園させることができた)その保育園に預けて仕事をしていた。子どもから学び、子どもが変わるということにより、保育者も変えようと、私は保育の仕事にもえていた。
夕方、まだ仕事を終えられない私に代わって、園長である父が迎えに行ってくれる。
(大切そうにうやうやしく抱っこして歩く姿は、その頃の名物だったらしい)
私の姉と弟は、相次いで外国で勉強しに出ていた。
父母にとっては、私と孫のいる夕飯はくつろぎの時間だったのかなと、今は思う。
でも、私が帰るまで、内線で何度か「まだ終わらないのか? はやくもどって来て」と連絡が入る。
(も〜! 仕事してるのに! となんども唇をかんだ)
あわててもどって、夕飯作りの手伝いをし、夕食を食べ、石のように重い子どもをおんぶして家に戻り、今度は夫が帰ってくるので、その夕飯をつくる。
ア〜アつかれた。
思い切り仕事がしたい、といつも思っていた。
その頃の夕食、涼しくなると土鍋が登場する。
「おなべ」は本当に楽だ!
材料さえあれば、だしをとって、お鍋に投げ込めばいい。実に理想的だ。
こうして、土鍋は我が家には欠かすことのできない料理道具となって君臨していた。
フタが割れてしまったときには「買いかえ時だね」と夫と言い合った。でもフタは他ので代用できた。
ではもう少し使おう。
先日、だし用の昆布を朝から入れてある土鍋をふと見ると、下に水たまり。
だしも減っている…。
とうとうこの日が来たのだ…。
上の子が生まれる頃だから、そう、40年くらい使い続けた土鍋サマ。
少しずつ劣化していたのね。
そりゃあそうでしょう。よくぞ40年の長きにわたり、我が家の食卓を支えてくれたものだ。
(そう、私もそろそろひび割れしている気が…)
退職後、家事全般をこなす夫は夕食も作ってくれている。
ありがたい!
その「主夫」である夫が、きっぱりと言った!
「土鍋をとりかえる! 新しい土鍋を買ってくる!」
ドアをバタンと閉める音がして出ていった。
私は静かに、残っただし汁を別のお鍋に移して、
遠い目になっている自分を感じた。
どなべ〜!!