〜 老猫 〜
2020年 9月
病を得て園長をやめて、長野の山小屋に夫と暮らす私の姉のところに、高齢な猫がいっしょにいる。
夫と二人きりの生活の中で、その猫の存在は、どんなに慰めとなったことか。
考えてみると、我が家にも、いつも拾ってきた猫がいた。
娘は学校近くの段ボールの中のすて猫たちをなんとかしようと、商店街の中を「このネコ、もらってくれませんか?」と、ひとりひとり、通る人に声をかけて歩いた。
優しい人がいて、2匹はもらい手がついた。
結局のこった1匹は、我が家にすむことになった。
その子を、「かっていい?」とおっかなーいママ(私)に頼めないで、少しはなれた物置のようなところにかくしていた息子と娘(どうも娘はお兄ちゃんに相談したらしい)。
共感した息子のアサ知恵で隠すという暴挙に。
二人はこそこそとえさを運び、水を運び、タオルをしいて、守っていたようです。
夕食の時、妙に静かに大人しい息子と娘。
一言も口をきかないので「?」と思った私が、「どうした? なんかあった?」と聞くと、二人は「ううん…。」と首をふりながら「なんでもない…。」と言ったけど、そのうち食べながら涙をポロポロとこぼし始めるではありませんか。
「な、なんだ? どうした?」
怒られる! とふるえながら、泣きながら「ネコをかくしている。 飼ってもいい?」と・・・ようやくきいた。
私にも覚えがある。幼い頃、そうやって何匹猫をひろってきたことか。
そんな大昔に、姉が拾ってきた、まだ目もあかない猫を、姉は
大学の講義があるとかを理由にして、私に押しつけて出て行ってしまった。
指先に牛乳をつけてなめさせてみたり、一生懸命掌の中で「がんばれ、がんばれ」と応援したり。
でも、泣き声は少しずつ弱くなり、とうとう… なくなってしまった。
姉はルンルン…ではないだろうけど、帰ってきた。
私はワァワァ泣いた。
「なんで私に押しつけて行っちゃうのォ〜 死んじゃったよォ〜 ワァーン、ワァーン…」
あの日のことを昨日のことのように思い出す。
いつもそうだ。なにかというと私に押しつけて!
「たみこ、焼きイモがが食べたい! 買ってきて!」となんであんなに上から目線で言いつけることができるんだろう。この人は? と今でも思う…。
「なんで私が焼きイモ買いに行くの?
自分が食べたいなら自分で買ってくればいいじゃない!」と私も言い返した。
でも結局、私は焼きイモやさんの前に立っていたっけ。
釈然としない。
ア〜ア。昭和の時だ。昔のことだ。
その姉が、今、いつきえてしまうかもわからない、かわいいかわいい猫の看病と介護に、心を砕いている。
別れは近いうちに必ず来るんだよね、と手紙に書いてきた。
「人生って、必ず別れがくるからね…。」と。
ひとつ違いの妹の私は、おごそかに手紙を書く。
自分にも言い聞かせながら。