母のこと
2022年9月29日
お盆やお彼岸があったせいでしょうか。
この頃、母のことを思い出すことが多いのです。
母が亡くなった年を越えました(私はいまだに子どもといられる幸せ)。
母も、保育者でした。亡くなるその時まで保育者でした。
告別式の時、在園児の子が「園長せんせい、天国にいっても元気でいてね」と、言葉をかけてくれていました。
昭和の20年代の保育園での仕事、いろいろな制度も補助も充分でなく、たくさんの子どもたちに囲まれて、どんなに大変だったことでしょう。
そんな母の保育の姿を見たことがあります。
電車に乗ってどこかへ行くらしく、駅で集合している時のことです。
母が、大きな男の子の手をとって、グルグル回っていました。(回っているというより、ふりまわされている?)父と母は昔から障がいを持つ子も、そうでない子も、いっしょに大きくなるものだと考えていました。
その子の手を握りしめ、グルグルグルグルグルグル回り続ける母の姿が、今も目の前にあります。
その母の保育で…。
ワンパクな子も、いたずらっ子もかけ回っていて、どうにもならない時言うのは、「もう〜! そんなに言うこときいてくれないならお帳面に書きます!」
「ええっ! お帳面に書かれる!?」
さすがのワンパクたちもシーンとおとなしくなるというもの。
今考えたら、お帳面に書く?
だから なに?
というところだが、なんだかこわかった?
なんだか恐ろしかった。
「お・おちょーめんに書かれたらどうしよう!」
その「お帳面に書く」は仕事を終えて家にもどり、私たちの母となったその時も続きます。
3人の子どもがけんかをする、言うことをきかない。
イライラする母は叫びます。
「もう!そんなことばっかり! お帳面に書くからね!!」
ギョッとする私たち。
なんだかこわいんですよねえ。お帳面に悪さを書かれたら、いったいどう言うことになるんだろうか。誰がそのお帳面を見るんだろうか。見られたら、誰にどうされるんだろうか?
エンマ様か、イエス様か、仏様か・・・はたまた誰だろう?
ビビりまくります。
姉と弟と私は、「お帳面につけられること」にふるえあがり、ただただ言うことを聞きおとなしく(その時は)するしかありません。
大きくなって思い出話をする時には、必ず「お帳面につけられるの、こわかったよね〜」と言い合って笑い、しばらくなにかあると「お帳面につけるよ!」が家族間で大流行したものです。
去年70をすぎて弟は逝き、姉と私二人での思い出になった。
今、お帳面につけてやりたい人は、いっぱいいる!
なかでも、プーチン!!
早く戦争をやめないと、お帳面につけるよ!