雷と母
2024年6月28日
異常気象が続いている。
6月だというのに暑い!
クーラーをつけようか、、電気代値上がりのこの時に気持ちがゆれる。
季節はずれの雷が盛大に鳴っていたある日、私は幼い頃のことを思い出していました。
私の家族は父母と姉・私・弟の5人家族。うまれた時はすでに父は保育園の園長であり、母は保育者だった。年子のような3人の子どもをどうやって育てたんだろう。
きっとまわりにいる人たちを頼って、任せて、お願いして、助けてもらいながらの仕事と子育てだったにちがいない。
だって!
私は母に抱きしめられた覚えが、どこを探してもないんだから。
(だって! ということもないか・・・?)
母は仕事(保育)を終えると、ただただ横になっていた。
もともとそんなに丈夫な人ではなかったのだ。
いなびかりと大きな雷鳴の70年も前の夜、「ウワァ〜!!」まずは弟が叫びながら両親の寝ているへやにかけ込んでいき、続いて姉も走って入っていく音がしました。
私はというと、いなびかりと雷鳴にどぎもを抜かれながらも、妙にシーンとした気持ちでいたのです。
真っ黒な夜空を引き裂くような光と音のなかで、じっと目をこらし、耳をすます。
(こわいなァ〜)(すごいなァ〜)
でも私は1人でいる。
すると、両親・姉弟のいるへやの方から、「たみこ〜」母の声がした。
姉と弟は来ているのになんで来ないの?と呼んでいるのです。
でも私はなぜか返事もせず、走って行きもせず・・・。
「たみこ〜!」と何回か、そのうちいつものいらつくようなとげとげした母の声で「たみこ〜!」
あれは、なんだったんでしょう?
家族みんなでいようよ・・・と心配して呼んでくれていたのにちがいはありません。
へそまがりな強情な「たみこ」は、その頃からかわいくないったらありやしなかったのです。
そんなことを思い出した夜、私は母の夢を見ました。
「〜な〜んだ、生きてるじゃない!」と、話しかけました。
母は69歳で心を病み、さびしく亡くなりました。幼稚園の園長のままで。
もし、今度「たみこ〜!!」と呼ばれたあかつきには、私は「ハ〜イ」と素直に返事をして、すぐにそばにいきますね。
雷の向こうまで。