〜 ルールについて 〜
2019年 7月
世の中には、いろんなルールがあります。
人を傷つける(心も身体も)ことはダメ!
このルールは、何があっても守らねばなりません。
昔、むか〜しのこと。
私がまだ小学生の息子のママだった頃。
(その子はもうお父さん。私はその時も保育者だった)
保護者会やら授業参観やらにはなかなかマメには行かなかったけれど、低学年のプール参観日の日、私はなんとか行けたのです!
学校へと走りながら、
「ママが来たと知ったらあの子喜ぶかな…はりきって泳いで見せたりするかな…」
とガラにもなく嬉しかったわたし。
ところが!
学校のプールに着いてみると、我が息子は所在なげにプールの脇に立っているではありませんか?
「アレ? どうしたの?」と聞く私に、「オレ、プールカード持ってくるの忘れた…」
「エッ? カード忘れたらもう入れないの? 参観日でも入れないってこと?」
すまなそうにあうつむく息子を尻目に、私は走って幼稚園に戻り、仕事を再開しました。
みんながプールに入っているのを見ている息子を参観してたってしょうがないですから。
でも、モヤモヤ、モヤモヤ…たしかに持っていく約束のプールカードを忘れた息子が悪い。
でも…と。
どうにも「でも!」と思ってしまうのです。
人間、忘れることってあるよね、って。
せっかく参観にかけつけた親の気持ち、そして、忘れてしまった子どもの気持…。
参観だからと言って連絡をするのは難しいのかもしれない。
「でも!」体温を計らせ、参観にきたドジな母親にも「コラ!」と怒ってくれれば、プールに入らせてもいいんじゃないか!
「ア〜ア、行かなきゃよかった!」
先生は私が言ったのに入れないアホな息子や私に何かを言うでもなく、タンタンと授業を続けている。
私はもちろん「恐れながら申し上げます!」と連絡ノートにそのことを書きました。
その返事はヒトコト「約束は守らなければなりません! ルールです」と。
…なんのための約束で、なんのためのルールなのでしょうか。
エプロン姿で駆けつけた私をチラリと見て下を向く息子の目をまだ忘れていません。
そして、またプールの話です。
孫は保育園に「行きしぶり」があり、あこがれは幼稚園なのですが、娘はシングルで必死で働いています。保育園は本当にありがたいです。
その孫も暑くなった頃からずーっと「プールは? プールは?」と毎日のように聞いていました。
「今日は入れるかな? 今日は入れるかな?」と。
(7月は入れませんでしたものね。)
お友達とキャッキャと身も心も解放されて遊べる水遊びが、こんなにも楽しいんだねと、家族で言い合ったことです。
ところが、これまたドジな私の娘が
プール帽を忘れてしまった!
すると保育士が「プール帽がない人は入れません!」とひとこと。
せっかくあんなにプールを楽しみにしていた子に「ママがプール帽を忘れたから、今日は入れないんだって…」とは言えないじゃないですか?
職場に遅刻する連絡を入れ、車を飛ばしてとりに戻って来ました。
「プールの時間までに帽子を届ければ入れるんですね?」と確認して。
「貸出用の帽子は?」「入れません」の一点張りの保育士って…。
子どもは他の子がプールで遊んでキャッキャとさわいでいるのをどんな思いで待つのでしょう。
ママの忘れん坊をうらめしく思うだけでしょうか? これって罰ですか?見せしめですか?
人間って忘れることもあるよ。「人間だもの」(相田みつを)
ルールですから、というのがやはり壁のように立ちはだかる保育の現場。
子供の気持ちより大切なルールって、あるんでしょうか?
子どもが幸せにすごせるためにこそ、ルールはあるのでしょうに。
わがドジな(血統かしら?)娘は、翌日、プール帽子を3枚買ってきました。
もし忘れて入れないで悲しむ子がいたら、どうぞ使ってくださいね…(置きプール帽!!)
約束は、守らなければなりません。
ルールは、守らなければなりません。(ア〜ァ)
今、幼稚園の子たちはプールに入っている。
(夏期保育中)
キャアキャア笑う声がする。
私の幸せのルールだ。