〜 バス停にて 〜
2019年 10月
バスを待って一人たたずんでいると、やっぱり一人で待っているおば(あ)さんとかに、よく話しかけられます。
世間話ということをほとんどしたことのない私なので、かる〜く緊張して、天気の話や、消費税の話などにあいづちを打ちます。(世間話も、してみると楽しい)
その日はバスのじかんはどうかな〜とバス停に近づくと、そこにいた人かげ2つにどっか見覚えが…おやおや誰だろう…。卒園児とその母でした。
「大きくなったねえ〜 たみこさんの背よりも高くなった…」
としみじみ。
その母は、ハッとして私を見ています。私が知っているお母さんのなかで、子供が卒園してから保育の資格を取った人が何人かいます。そのお母さんも、ホントうちの職員たちがうらやましがるスピードで全科目合格したという優秀な人。
今はどこかの園で仕事をしています。
「仕事大変?」ときいてみると
「ハイ…」と。
「このバス停でたみこさんにあえたのは、なにかあります。
連絡しようか、会いに行こうかとずっと思っていたのです。」
と話し始めました。
聞くと、一生懸命子どもに関わっているけれど、まわりの保育者と、どうも子どもへの思いをいっしょに考えられていないような気がして辛い時がある。
たとえば、ちょっとした失敗などが(保育者の)あると、「あ〜あ〜」「やっちゃったね〜」とからかい気味に言われたりする。
子どもへの思いや日々の保育について、心からの話し合いをするとうことが全くなく…毎日が苦しい。
バスが来て乗り込んだあとも、彼女は話し続ける…。
子どものことを深く思いつつ、園全体で育ち合うことができないのが苦しい。
卒園児の娘は、少しはなれた席に座って、背中で母をしっかり感じているようでした(優しい娘に育っています)。
「でも、私は子どもの立場をしっかり守ること、大切に思うことの芽を、保育の場へと広げたいの…。」と、涙は止まらない。
話をする私たちのまわりが、何か別の空気におおわれているような、不思議なバスのなかでした。
降りがけのこと。
「ここでたみこさんに会えたのは神さまかなにかのおはからいがあったのかもしれない。
たみこさんがいてくれる、それだけで頑張れるから、どうぞ生きていてくださいね…。」と言ってくれた。
私も涙を流しながら、家まで帰りついて、しばらくしみじみと泣いた。
子どもを育てる仕事につく私たち。
希望を語る仕事につく私たち。
どう生きて行くか、なんだよなぁ〜
つないだ手は、はなさないよ。私はいつも、ここにいるからね。
バス停で、また会えたらいいな。